自分がいつ虐待してしまうか、わからない。
らもりーるをはじめて
虐待という言葉はより身近になりました。
今度は、子どもから感じるのではなく
お母さんたちからの生の声として。
今日ここに来れなかったら手をあげてしまってたと思います。
手をあげてしまった、このままエスカレートしたらどうしよう。
子どもにこんな言葉をかけたい訳じゃないのに、イライラが止められなくて暴言ばかりかけてしまう。
そう話してくれたママは1人ではありません。
自分がいつ虐待してしまうか分からない
24時間緊張感と責任感と共に過ごし
虐待と隣り合わせで子どもを育てているんだなぁと、保育園勤務の頃には見えなかったお母さんたち毎日を感じてきました。
そんな私も、保育士の頃
自分の余裕がない時に、他の大人がおらず、1人で子どもを見ている時の自分の心の動きにゾクっとしたことは1回ではないし
息子との毎日の中で、自分ではコントロールできない感情に出会う事もあります。
保育士なりたての、完璧主義、理想満載の頃の私が子育てをしていたら
今の私の子育てとは違っただろうな。
周りに誰も頼れる人がいなかったら、今の息子との関わりは違うものになっているだろうな。と感じます。
そう。
虐待は、特別な人が、心の無い人が、虐待をしようと産まれてきた訳でもなくて
虐待をしてやろう!っと子どもを産んだ訳でもない。
どんな現実があるにせよ
十月十日お腹の中で育んだお母さんたちの愛は計り知れないし
親だけでなく、子どもと過ごすどんな人も愛からその場にいることを決めている。
その中で、虐待してしまう可能性を秘めながら、日々子どもと向き合い育んでいるのだと思います。
先日、虐待死した子どものニュースが目に飛び込み、誰が悪いかを論議していて
とても悲しくなったのと同時に、解決策はなんなんだろう?と考えていました。
ニュースの中のインタビューで
『家に遊びに行った時に、帰ろうとすると子どもは一緒に行くとついてこようとするし、変だった。』
虐待してしまったご家庭と、1回ではなく、何回も行き来していたように感じるママから、『捕まって当然だ。捕まって良かった。』そういうメッセージを伝えたい正義感のようなものを私は受けとってしまい
その方のインタビューを聞きながら
自分がいつその身になるか分からない恐怖と
私は絶対そうならないという緊張感の中で
この人はずっと子育てしていかなくてはいけなくなるのかなぁ。
周りにまた誰が虐待していないか見張り続けなくてはいけなくなるのかなぁ。
そう思うと苦しくなりました。
苦しい連鎖が続いて
虐待は無くなるのだろうか?
私ができることはなんだろう?
そんな時に湧き起こってきたのは
里親制度を少しでも多くの人に知ってもらうこと。でした。
私は、里親制度というものがあったから
お母さんになることができました。
私たちの家族の物語を通して
里親制度を知ってもらうということで
子どもを産んだけれど
自分で育てられないお母さんたちを許してもらえたら嬉しいです。
そのお母さんたちがいるからこそ
お母さんになれる人たちがいるのだから。
お母さんたちを許すことは
自分を許すことにもつながる。
虐待は、無くそうと努力するものではなく
自分1人で握りしめる子育てから
産んだならちゃんと育てられて当然だという意識から
1人1人が卒業できた時に
自然と虐待は無くなっていくと私は思うのです。
私は
お母さんと子どもが笑いあっている姿が
たまらなく好きなです。
子どもと笑いあえる時間が
たまらなく好きなのです。
1人でも多くその姿を見たいから
私にできることを考えます。
私たち家族の経験が
誰かの役に立てれば幸いです。
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