オマルに慣れなくてもいい
主人の言葉をキッカケに
家族みんなが心地よい排泄生活の
創造がはじまりました。
こどもにとって何が心地よいのか
何を大切に育ててあげたいのか
・
2年前にふと手にとっていた本から
ヒントをもらい実践をはじめました
実践する前に
私の思考を
変換しなくてはいけないと思った事が
いくつかあります
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オマルに排泄しなくてもいい
オマルに慣れなくてもいい
・
保育園時代、私が働いていた園では
0歳児の排泄の発達課題として
オムツの快・不快を感じる
↓
不快を伝えようとする
↓
不快を伝える
このような課題をもって関わっていました
腰がすわりはじめた頃から
【オマルに慣れる】課題も加わります
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少しずつオマルの存在に慣れていけるよう
寝起き・ご飯後など
排泄が出そうなタイミングに合わせて
オマルに支えて座らせていました
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静かに座る子もいれば
嫌がる子もいて
たまたまタイミングが合う子いれば
全然タイミングが合わない子もいて
ただ、その姿に寄り添いながら
淡々と毎日取り入れると
少しずつみんな
オマルに慣れていきます
・
オマル座れるようになるからこそ
排泄ができるようになる
・
こういった思考回路を
持っている事に気がつきました
・
改めて言葉にすると
すごく機械的で
大人主導の流れに
こどもが合わせて排泄していく
というように感じます
・
こういった関わりの中でも
こどもが主体的になれるよう
嫌な時は嫌を受けとめ
自分からくることを大切にしたりと
試行錯誤しました
・
そして
排泄がオムツの外で
少しずつできるようになっていくことに
変わりはないのですが
・
やり手水(やりちょうず)
排泄をしそうな姿をみて
排泄できる場所にささげる
・
本の中のこの言葉を見て
主人の違和感はこれかも??
と感じたのです
目の前の彼の姿に合わせてではなく
オマルに慣れること
オマルで排泄できることを目的として
それが当たり前かのように
息子に関わっている私の姿が
主人には違和感に見えたのではないか?
・
その小さな違和感が
『もう、オマルに座るもんなん?
それって大人のエゴじゃない?
まだ、可愛いそうやん』
っという言葉として出てきたのではないか
・
確かに
オマルに座らなくても
排泄感覚を大切にしてあげられるし
・
オマルに慣れていくのが当たり前だと
息子に慣れさそうとしていたのは
私のエゴなのかもしれない
・
先を見通した愛があるゆえの行動
だとしても
可愛いそう!!
っという主人の言葉もしっくりきました
・
やっている行動は同じだとしても
そこに向ける意識が全く違うと
こどもの感じ方は違う
大人の向ける意識・意図こそが大切
・
オマルでできること
トイレでできることを目標とせず
私が、息子の排泄していることに気付く
排泄したいしぐさを掴む
それを大切に
今しかできない排泄期間を楽しんでみよう!
・
【阿吽の呼吸と出す力】へつづく
今年は、我が子と過ごす日常から
見えてきたこと
感じたこと
やってみたこと
変化したこと
大事にしたいことなど
コツコツと文章に
綴っていきたいと思っています。
長年の夢でもあったので
どんなことを感じ、綴っていけるか楽しみです。
子育ての1つひとつを
一緒に考えるキッカケになれば幸いです^ – ^