久々に感じた罪悪感。

いい母親でいたい。

いい母親とは。

いい母親なら。

母親とは、こうあるべき。

自分の固定概念なのか

はたまた、社会の概念なのか

育児をする中で罪悪感を感じることはありますか?

私が久々に感じた罪悪感は

『仕事でもなく

自分の為の時間に、息子を一時預かりに預けて出かけること』

ビックリでした。

保育園で働いている頃から、ママたちにリフレッシュ時間とってね!っと伝えてきたのに、自分がそれを行動しようとすることで罪悪感を感じるなんて。

主人に預ける時はそれほど罪悪感はないのですが、お金を出して預けてまで。

ここが、私にとっては罪悪感が大きくなったことに関係していそうです^ ^

更に、自分に潜ってみると

『子どもが小さいうちは、子育てに専念して自分の好きなこともやりたいことも我慢しなければならない』

こんな思考が出てきましたよ。

私は、やりたいことを充分やっていると思ていましたが、まだまだこんな思考が出てきてビックリでした。

一緒に頭の中に出てきたのは、彼と旅行に行きたいからと子どもを置き去りにしてしまったという悲しい事件でした。

この事件の悲しさはどこにあるのだろう。

家に置き去りにされた子どもの悲しさは測りしれません。

ですが、このお母さんに1人でも、一緒に子育てする仲間がいたら、、、

預けられる人がいたら、、、

こんな事件はおきなかったかもしれません。

罪悪感を感じず、『お願い!子ども見てて!』その一言が言えれば、、、

子どもは、母親以外の大人から愛情をもらう楽しい時間を過ごし

母親は、母親という肩書をおろして、本来の自分に戻る時間を持つ。

親子共に、とてもいい時間が持てて、日常に彩りがでたかもしれません。

話しがだいぶ飛躍しましが、

そんな風に事件を客観視する自分と

どこか、事件と重ね合わせてみている自分

『子どもが小さいのに、自分のことを優先してあそぶなんて。』

鳴り止まない思考。

いいよー。

いいよー。

自分のことを優先してもいいよー。

子どものことを優先してもいいよー。

どっちでもいいよー。

どっちもいいねー。

子育てという大仕事。

全部自分でしようとしなくていいよ。

頑張らなくていいよ。

周りに頼ってみんなで一緒に育てようよ!

と罪悪感を感じた自分を抱きしめましたよ(o^^o)

今と昔。

何が違うのでしょう?

昔の人は忍耐強く

今の人は子育てするのに忍耐が足りない。

それが子育ての当たり前だった。

この言葉に続く言葉は?

だから、同じように頑張れ??

私は、どうしたい??

今の私、そして未来の子どもたちに受け継いでいきたい子育て環境を改めて考える機会にもなりましたよ⭐︎

そして、

母親という肩書をおろして

五感を通して感じることに集中してみる。

それを言葉で表現し、シェアしあう。

そんな時間をもつことで、心がスカスカになっていることに気づき、満たされた後は、

子どもがより愛おしいと思う気持ちが溢れ出てくるのだなぁと改めて感じた、罪悪感でもありました⭐︎

らもりーるでは、会員登録をしてもらうと、一時預かりが利用できます^ ^

もっと、もっと軽やかに預かりを利用してもらえたらいいな~!

こんな会に行けちゃうほどに(o^^o)

喋って、踊って、お月さまをイメージしたランチをまで頂いちゃった、舞メディテーション♪
京都のホテルでのアフターヌーンティー会

こんな写真をシェアするのもドキドキしている自分がいます。

まるで、悪いことをしたかのように。

まだまだ、自分と向き合う部分がありそうです^ ^

子育てに専念する。ってなんだろう?

あなたが望む子育て環境はどんな環境ですか?

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